それが悲しみでも
かまわないと思えた
きみを守りたくて
僕は僕を差し出したんだ
夕暮れどき、ラジオから流れてきたこのフレーズに、思わず手を止めた。
Uruさんの透き通るような声が、まるで自分の心の奥の小さな部屋を、そっとノックしているような気がした。
最近、誰かを「守りたい」と思ったのは、いつだっただろう。
そしてそのとき、ぼくは「僕を差し出す」覚悟を持てていただろうか。
■ 愛とは「痛み」と共にあるものかもしれない
この歌を聴いて真っ先に浮かんだのは、「愛って、やさしいだけじゃない」という感覚だった。
誰かを愛することは、心があたたかくなるだけじゃない。
ときに、胸が張り裂けそうなほどの切なさや、どうにもできない無力感を伴う。
「そばにいたいけど、どうしても届かない」
「代わってあげたいけど、それができない」
そんなふうに感じる瞬間ほど、愛は深く、静かに、強くなる気がする。
ぼくらが「愛している」と思っているものの中には、
じつは「諦めきれない痛み」が潜んでいることもある。
でも、それでも離れられない。
それでも祈りのように、その人の幸せを願い続ける。
そんな気持ちを、Uruさんはまるで時間を止めるような歌声で、そっと差し出してくれている。
■ 「差し出す」とは、失うことではなく、自分で在ること
歌詞の中にある「僕は僕を差し出したんだ」という一節。
この言葉には、自己犠牲のようでいて、じつはとても能動的な意思を感じる。
それは、「無理してがんばる」ことでも、「自分を殺して尽くす」ことでもない。
たとえば――
誰かが泣いているとき、すぐに慰めの言葉を探すのではなく、
ただ黙って、そばに居続けること。
自分にできることは多くないと知りながらも、
「それでも、一緒に居るよ」と手を離さないこと。
それが「差し出す」ということなんじゃないか。
自分を捨てるのではなく、自分であることを選び直すような、そんな覚悟。
■ 「それを愛と呼ぶなら」――その名もなき想いに、名前を
この曲のタイトル、「それを愛と呼ぶなら」は、ある種の問いかけにも感じる。
――これは本当に愛なのか?
――こんなに不器用で、うまく言葉にもできないのに。
――ただ、一緒に居たいと願っているだけなのに。
でも、そうやって迷いながらも、その人のことを思い続けているなら。
たとえ不完全でも、不器用でも、形にならなくても。
その想いを、ぼくはやっぱり「愛」と呼びたい。
■ 愛は、見返りのないところで、確かになる
「守りたい」って思うとき、自分の中に何が生まれているか。
それは、報われなくてもいいと思える気持ちかもしれない。
言葉にされなくても、気づかれなくても、
「それでも、その人の幸せを願っていたい」――そう思えるとき、
愛は見えないところで、静かに確かになっていく。
愛は「与える」ことのように言われることが多いけど、
ほんとうは、「ただ、その人の存在を願い続ける」という行為なのかもしれない。
■ もしも、あなたが今、傷ついているなら
この歌は、家族や恋人だけじゃなく、自分自身にも向けられているように感じた。
過去の傷、手放せない後悔、もう戻れないあの時間――
それらすべてに、「それでも愛だった」と言ってあげること。
あなたがそのとき、大切にしたかったもの。
守りたかった人。
差し出した自分の心。
もし、それらがまだ胸の奥にあるなら。
どうか、それを責めないでほしい。
それこそが、あなたの中に生きている「愛」だから。
あなたが「それを愛と呼ぶなら」、
それは、どんな場面を思い出しますか?
どんな気持ちに、名前をつけたいですか?
終わりに
Uruさんの歌は、感情を急がせず、静かに寄り添いながら、
わたしたちの中に「言葉にならなかった気持ち」をすくいあげてくれます。
誰かに優しくすることが苦しく感じる日。
過去の自分が、うまく笑えなかったことを責めそうになる日。
そんなとき、この歌が、あなたの奥の奥にある「やわらかいもの」を思い出させてくれるかもしれません。
それを、どうか、大切にしてあげてください。