いつも、ありがとうございます^^
業務の忙しさもさることながら個人的な私事を含めて、この三ヶ月あまりは、なんとも、自らの人生にとって忘れられないものとなるであろう期間となりました。
「人生の節目」とも思えるような時には時間をかけて、ゆっくりと消化して昇華をしていきたく思っています。
私は、この「消化と昇華」ということが、自らを活かして生きていくために、とても大事で、何かしら感性を使っての業務を続けていると、とても欠かせないものだなぁと感じています。
◇ わが社の「Why」を一言で
弊社・実践マーケティングセンターの「Why」を一言で表すと、 『価値ある影響を創造する』というものにしています。
これは起業などをする、ずっとずっと以前からの私の生まれ育ちにある根幹から繋がって出た「昇華のイメージ」によるものです。
過去のある時、一人で勝手に生死の境をさまよった時がありました。
その時に、まるで、真っ暗闇の海面の上から見える灯台の光のように…。
最初は遠くにある、かすかに見えた小さな光…。
そして、一気に全身を覆った光の感覚に、私の中では直結する言葉です。
起業家としての私はここから始まりましたし、今でも、私の起業活動は拙い内観でここに集約されます。
その後、私は、この一言にまとめるだけで数年かかりましたが、『影響を創造する』のは実に様々な方法があるかと思います。
多種多様な創り方が発展してきた現代は、とても楽しいとも思います。
◇ 「Why(なぜ?)」は” キラーコンテンツ ” になる
まず、自社・自分メディアを創り生み出していく上で、「Why(なぜ?)」は重要なキラーコンテンツともなっていきます。
” キラーコンテンツ “ というからには必殺のようなものです。決め手となるコンテンツですね。
表し方によっては商品やサービス説明、メリットや価格(コストパフォーマンス)などより、とても強力な惹き付けパワーを持ちえます。
「とにかく あなたの言うことだから ぜひ知りたいと思った」
まったく繋がりのなかった方から、突然、このように好意的に言われることがあります。
性別を問わず、本心からです。
ヒアリングさせていただいていると、その方は「Why(なぜ)」に関するコンテンツばかり観てのご連絡だったりします。
百のセールスよりも、下手な広告よりも、ずっと効きます。
「Why(なぜ?)」はコンテンツとしていなくても伝えることが出来るでしょうが、コンテンツ化していくことで、皆さまにいつでも観ていただけるようになります。
そこから未知の可能性へつながるかもしれませんし、アウトプットしていくことで自覚も上がり、見直してブラッシュアップへの後押しにもなります。
ただし、表し方次第で雲泥の差となります。
表していくほうとしては、ポイントや意味を踏まえないと台無しになる両刃の剣です。
テンプレートにはめ込むだけで、スグに・カンタンにできるというお手軽な類のものではないように思います。
事業者の方によっては、創業秘話やご挨拶などに含まれていることもあったりしますね。
または、もう少し力を入れて、無料または格安のオファーに含まれていることもありますが、いずれの場合でも、その表し方次第で反応は大きく変わってきます。
自分のことを書き出すとペンが暴走される方も、少なくないかもしれませんが、自画自賛・自己自慢などは(さじ加減にもよりますが)嫌われやすくなりますので、とっても注意を要します。
” キラーコンテンツ “というだけあって、一朝一夕ではないということですね。
一朝一夕ではないものの生み出せば…
パッと観ではわからないが 何かがチガウ…
そう思わせられる惹き付け要素となっていきます。
「何かがチガウ」と感じさせられるということは、すでにここで” 独自性 “が生まれてきているということでもあります。
” 独自性 “とは、そうそうマネされにくいオンリーワンのファクターであり、一見、「パッと観ではわからない」中にミソがあります。
考え抜いて魂を込めていけば頭で思う以上の心地よい求心力ともなってきますが、それだけに「誰でも出来る」かと言えば、そうとは限らないようです。
◇ 活動する存在にとって「Why(なぜ?)」って?
極シンプルに言ってしまえば、なぜ、その活動を始めたのか?、続けているのか?という「Why(なぜ?)」ですね。
このように極シンプルな問いですと、随分とシンプルに、時に安易に答えられることもあるようです。
それはそれで間違いとは言いませんが、正しいとも言えないのかもしれません。
ここでは、まず、その意味から触れてみます。
表面上の言葉の意味を知るというのではなく、心で感じ取っていただけるものがありましたら幸いです。
なお、「Why(なぜ?)」という視点は私が知る起業家の間では、よく使われている?かのようですが、何も起業家だけに限らないことと思います。
そこで、起業家気質に寄った視点ではありますものの、上記の見出しでは「活動する存在」と記しました。
「Why(なぜ?)」はコンテンツ化していくだけでなく、事業という仕組みの中に盛り込んでいくことで、より現実に反映させられてきます。
事業を創っていく際の土台や、随所で浸透させていく基幹の骨組みともなるものです。
◇ ここで大切なポイントとは?
大切なのは、Whyの内容自体と、その内容が当事者の方と自己一致しているかどうかによります。
自己一致というのは、違和感やモヤモヤの伴う自己不一致ではありません。
誰も、自分にウソをつき続けることは(一時的にはできたとしても)、ずっとは出来ないと考えて、ごまかしなくという意味です。
こじつけでもなければ、他人様からの受け売りでも、世間へのこび売りでもなく、ごまかしなく「=自分」ということです。
なお、他者からの影響を受けて、気付き・発見を得て、その上で=自分だと、正直な心の声で本当に言えるものなら、その時点で受け売りではないとも言えるかもしれませんね。
言葉やキーワードがオリジナル表現かどうかなどのテクニック、「やり方」より、そこに込められている「あり方」にウソやごまかし・虚飾がないかどうか、で響くものが違ってくるようです。
自己一致したものに近づいていくほどに、クリアになっていく感覚も味わえたり、胸の奥から、沸々と沸き起こってくるものを感じられるのではないでしょうか。
- 内容自体が、どのような「Why(なぜ?)」からなのか?
- 心から自己一致しているか?
- どこかからの受け売りではないか?
◇ 本当の「Why(なぜ)」(=自分)とは?
上記全てを兼ね備えたものと言えるでしょうか。
表面上の言葉の意味をなぞらえるに留まらず、深い「内観」からのものと考えられますね。
奥の、奥の深いところから…です。
私は最近、めったに使わなくなってきた言葉ですが、「存在理由」とか「使命」などのようにおっしゃる方もおられるかもしれません。
これらは眉間にシワを寄せて、がむしゃらに…というより、ゆるやかに楽しみながら、しなやかにという姿勢のほうがバランスを保って進めやすいとも感じる、今日このごろ ー 2018年・夏です^^
◇ 「内観」だけでも、「外観」ばかりでも
想いさえあれば それでいいのか?
もちろん、想いを始めとした「内観」ばかり観ていて良いわけではなく、それが全てというわけではありませんね。
現実の社会や状況、自らを取り巻く環境などの「外観」をしっかりと観て分析して、ビジネスモデルをデザインしていくことが肝要なのは言うまでもありません。
ビジネスモデルとは「継続的・安定的に価値ある影響を創造するための」ものです。
その「外観」を観ていくプロセスや、そこからの組み立て方法(発案・策定・仕組み化)なども、現場レベルから蓄積された手法というものがあります。
ただし、もし「外観」(現実の社会や状況、自らを取り巻く環境など)ばかりに目が行ってしまうとしたら、視野が広いというばかりではなく、時に逆効果の場合も見受けられるようです。
例えば、外観ばかりに目が行って、まるで渡り鳥、ジプシーのように、あっちに行ったり、こっちに行ったりと中途半端な結果ばかりの方のお話を聴くことが、極たまにあります。
そのような時、その内観のブレの大きさについて思うところを感じます。
よく言えば、目端が利くとか見切りや切り替えが早いなど、口ではどうとでも言えるかもしれません。
ですが、どのようなノウハウ・手法、案件・事業を扱おうとも、まずは「根幹が、どうなのか?」ということです。
そうして「内観」×「外観」の掛け算で取り組んでいくとパワーも無理なく継続して出していきやすく、相乗効果も得られやすいと実感しているところです。
◇ 「何でも出来る」は「何にも出来ない」と見られる?!
あなたは何屋さんなの?
あれもこれもと熱心に取り組みすぎておられるのか、たまに、周囲からこのように思われてしまう方がおられるようです。
ご自身としては優秀で頭の回転が早いのかもしれませんし、熱意も行動力もおありなのかもしれません。
ですが度々、違う案件・事業の話をされてしまうと、一貫性がないと言いますか、なぜ、あれもこれもしたがるのか不思議にすら見えてしまいます。
そうして周囲からは、そんなに何でも出来るのかどうか、軸はあるんだろうか等に思われてしまうようです。
…その取り組みの仕方って、なんだか浅くないですか?と思われてしまうわけです。
「Why(なぜ?)」が明確に表されて、その中に包括される多様性・ラインナップならば、軸のある一貫性が感じられるはずですので、このように思われることはありません。
「Why(なぜ?)」のあり方と表し方次第でも変わりますが、ラインナップの揃え方に一貫性も何もなく、カテゴリーすら、まるで行き当たりばったりだと、もう、なんだか分かりません。
軸があって、そこに訴求力がきっちり込められているならまだしも、気まぐれのようにされるだけでは、しまいには呆れられていくのではないでしょうか。
そもそも、モノやサービス、情報も溢れている今どき、あれもこれもと方向性もバラバラななままで、いつまで売れると思いますか?
本当に強く、無理しなくても継続する求心力、自然と惹き寄せられてくるものが、どこまであるのでしょうか?
それは言を弄しようと聴く人が聴けば感じ取られるものですし、理屈などではありません。
ユーザー目線だって、日々、進化しているわけです。
私たちは、あれもこれもと身体を動かして自己満足するばかりではなく、グッとこらえて思考を動かすことも大事ですね。
現在は、より、クオリティ(品質)やリアリティ(現実味)、さらにホスピタリティ(心からのおもてなし)が求められる時代です。
少なくとも、大資本ではない個人や小規模単位ならば、無理して百貨店や総合商社を目指して中途半端になるより、あえて特化させた専門店のほうが奥行きもあり、信頼性もあるのではないでしょうか?
このことは、最近のベンチャー・中小企業向けマーケティングでは、もう定番のように言われてきたことです。
奥行きがあるということは、知れば知るほど、噛みしめるほどに味が出る面白味があるということでもあります。
それは他にはない独自性ともなってきて、固定客化・ファン化させていける可能性が上がるということになります。
これらも踏まえますと、「Why(なぜ?)」が曖昧では軸もブレやすくなる結果、取り巻く現実もブレブレになってくるのではないのだろうか、ということもお察しいただけるかもしれません。
多様性も出していくならば、専門性のある他者・他社との継続的で安定したパートナーシップの組み立てを、デザインしていったほうが実りがあります。
(この具体的な体系化された手法が、ビジネスモデル・デザインとなります。)
専門性のある他者・他社の中に、それぞれの「Why(なぜ?)」がある場合が少なくなく、その上での連携となれば相乗効果が考えていきやすなる確率が上がります。
あまりにも、なんちゃってや行き当たりばったり、ハッタリの集まりではダメだ、ということですね。
根っこが強く深ければ、やがて、太い幹が育ちますね。 幹が育てば枝葉もフサフサとなってきて、だんだんと浄化作用の力も出てきます。 花も咲いてくるようになると、さらに人々の目が惹き寄せられてきます。 まずは根幹ではないでしょうか。
◇ もっとも個人的なことでも極めようとすれば…きっと
ここで傾聴の祖とも言われている、カール・ロジャーズ氏の言葉から、ひとつ引用させていただきます。
『もっとも 個人的なことこそが もっとも 普遍的なことである』
-カール・ロジャーズ(心理学者)
“What is most personal is most universal.”
- Carl Rogers
私は「Why(なぜ?)」を考えるに当たって、上記の言葉は、とても通ずるものがあると感じたため、ここで引用させていただきました。
最初は個人的なことから始まったとはいえ、普遍的なことに繋がるものだからこそ、こだわり続ける価値のあるのではないでしょうか。
つまり、独りよがりを超えたものに昇華していける可能性が充分にあるはず、です。
ただし「もっとも」という前提があります。「なんとなく」ではありません。
ここで「もっとも」とは、相当に考え抜かれた、または感じ続けた上でのものという意味が込められているのではないだろうか、と、私は思えるところです。
無制限と言えるぐらいの自問自答の積み重ね…かもしれません。
◇ 少なくとも…
きっと本当の「Why(なぜ?)」とは、「儲かるから」・「有名になれるから」などではないと言えるのではないでしょうか。
儲けることも有名になることも、その仕方によりますが、それ自体が頭ごなしにワルいことでもないとは思いますが少し掘り下げて考えてみます。
…「儲かるから」
収益・収入は事業を継続させて拡充・成長させていくために、とても大事な要(かなめ)なのは言うまでもありません。
お金があるから出来ること、ないから出来ないこと、それぞれあるでしょう。
収益を度外視しているわけでも決して軽視しているわけでもありませんが、それありきではないと私は感じています。
「先に立つ目的」ではなくお金を第一目的に追いかければ、一時的には得られたとしても消えていく・逃げていく感覚のほうが、私は強くあるという意味です。
このことは私の場合、そうであるというだけで万人に当てはまるのかどうかは知らないですし、どちらであろうと追究しようとも思っていません。
ご存知の方は詳しいらしいですが収益ありきの虚業?のような情報が、どれだけ出回っているのでしょうか…。
たまに見かけますが時勢なのかお金至上主義のようなそれらは、ときに極端にすら感じますし、そのような方は、いつもお金ばかりを追いかけているようにも、見えるかな、と…。
そのようなものに心が震えることも熱くなることもなく、付き合いたくないなぁと思います。
本当に心の底から これからの人生の大半をかけてでもしたいですか?
そう問われた時、心の奥にいる本当のご自身は、なんと答えますか?
どのような回答でありましても、それはそれで否定などしませんが、良い意味で心が震えるものが感じられる場合のみ、私はパートナーシップを組ませていただくことがあります。
ご存知のように、誰しも「時間は有限」でありパワーなどのリソースも有限です。
上記の問いにイエスと言える強く深い理由がないものは、本記事で記している「Why(なぜ)」とは別物ではないかな、と思われます。
モチベーションのランクの中でも、マネーモチベーションは、もっとも底辺にあると学んだことがありますが、そのことを意識してからのほうが逆に私は収益が得られやすくなったと感じてきました。
「逆もまた真なり」ということかもしれませんね。
私は「収益ありき」などではなく収益は後から付いてくるものとして捉えていたいと考えて取り組んでおり、そのほうが心地よく多くを(収益も含めて)得られると実感してきました。
そして、この姿勢のほうが健全な伸びを示すのではないか、と、極ごく小規模の事業者ながら肝要に思っていたりします。
この視点は「Why(なぜ)」から出てくる…心の声のようなものに沿って動くにつれて自然と出てきたものとも言えます。
同時に、このほうが気持ち良く感謝を感じられる活きる収益になると有り難く感じてきました。
少なくとも起業家の端くれである以上、仕掛ける側のはずですので仕掛けているようで仕掛けられたくはないな、とも思ったりします。
…「有名になれるから」(もてはやされるから)
知名度も取り組みによっては必要となりますが、それらは伝えていくための一つの手段でしかないと私は捉えています。
それが自らに合った表し方なら良いのだと思います。
もし、それが自己顕示欲や、何かを見返したいという思いを満たすためであったり…。
単にキラキラを演出したいなど…拡張自我や他者承認欲求のためということが優先されていた場合、それは一体、何なのでしょうか?
多くの方々の前に立って何かしらお伝えしていくことのプレッシャーを乗り越えた先には、多かれ少なかれ前に立つからこそ感じる空気・見える気づきや発見があります。
だからといって、それを続けていくことで(ご参加者の)リアルの現実効果を満たせるのかと言えば、それは内容にもよりますが、私の取り組みテーマの場合は、なかなかの割合で、そうではないと感じてきました。
テーマによっては、その場での自己満足のようなもので完結してしまうのではなく、日常での現実効果に反映させたいというのが、本来の目的なのではないでしょうか。
私は人前に立つことに慣れてくると、どこか麻薬のようでクセにもなりました(笑)が、いつからか…。
本当に 人前に立つことばかりしたいのか? それで良いのだろうか?
内心で…問い続けるようになりました。
私にとってはそれはイエスではなく、「先生」であることや、称賛・拍手などよりリアル…現実を最優先して、徹底した現場主義の実業マインドでありたいと思ってきました。
それは人それぞれの方向性や内容・選択であり、「Why(なぜ?)」につながって感じる必要性なのだと思います。
◇ 有名税というものもありますね
名が売れていくほどに揚げ足を取られたり、心無い言葉を受けることも日常茶飯事に出てくるかも?しれません。
人は勝手なことを言うものとして、神経が図太くて顔の皮が厚い方ならば、それらがまったく苦ではないのかもしれません。
もし、そういうわけでもなかったら「Why(なぜ)」を強く意識していないと、自己満足レベルなどでは、すぐに「キー!」となったり、落ち込んだりして有名税に耐えられないときも出るかもしれません。
逆に言えば有名税に呑まれる程度のものならば、その程度なのかも?しれません。
有名になりたいから、などということより、その先で何を示したいのか、が大事で、「Why(なぜ)」を何度も意識し続けて、検証し続けることがブレを少なくしていくと言えます。
「有名になりたいと思っていないから、大丈夫」
趣味でしているならまだしも、示したいものの方向性によっては、有名になりたくなくても、人前に出たり、名前や顔を売る必要が出てくる場合もありますね。
「Why(なぜ)」の達成のために避けられないのならば…ということもあるかもしれません。
私は未だに人見知りが強いほうですが、そのような場合は、大勢の前に立たせていただくこともしてきましたし、たまに必要に応じてしていくかもしれません。
◇ 安易にはできないが、自他ともに価値が高い
「Why(なぜ)」を根幹として大事にすると言うと、自らの想いばかり優先して大事にする、下手したらワガママかのように思われる人もおられますが、自分勝手に出来ることではないと思います。
「好きなことだけしていて成功する」とか、そんな安易な話ではないでしょう。
(キライなことを勧めるわけでもありませんが。)
「Why(なぜ)」を大事に、とことん考え続けていくと本気で達成したい、一つのゴールのようなイメージがきっと出るかと思われます。
そのためにかかる時間・月日は、「あり方」が人様々であるように基準はないのでしょうが、自らの中でストンと腑に落ちる感覚がなければ、まだまだ中途だと推測されます。
前述のように「Why(なぜ)」とは、「人生全てをかけてでもやり通したい」・「自らの根幹と切っても切り離せないもの」だと定義したとします。
このように考えたら、この言葉を何度も噛みしめてみると…なかなかに相当なものですよね。
自己本位で、一朝一夕に見出だせるレベルのものではないと考えられます。
そのために、その先でのお相手(事業ターゲットとなる属性の方)のことや様々な「外観」を、よくよく観ていきながら事業化プロセスを学び続けて実践していくわけです。
取り組み次第では、そこに相乗効果も生まれだして気付きや発見も出てくると言えますが、その具現化は「好きなことだけしていて成功する」という、近視眼的のようなマインドとは別物と思います。
逆に、どこかで利己的なものは、それはそれでそのような臭いが醸し出されてきて、いつまでも、その臭いばかりがしていては進めなくなるのではないでしょうか?
例えば、プラス思考神話と、それに伴う作られたキラキラ演出でもそうですが、それは、おそらく砂上の楼閣のような、独りよがりで自己満足レベルの寒々しいものかもしれません。
輝きは意図的につくらなくても、泥臭さの中から人間味を持った光として感じ取られるのではないか、と、私は実感しています。
たとえ無名であれ、有名であれ、そんなことはどちらでも良くて、そのような方々の存在に、かけがえのない価値を私は感じます。
次回は、「Why(なぜ?)」を表すためのマインドセットについて、記していきます。 テクニックや理屈などを超えたところで現れる、強い求心力と独自性を創りだせる可能性があります。