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全く、同じ国どころか同じ星、同じ時代に存在していることすら、気持ち悪く腹立たしいものとは、ここまであるかと思うと、甚だ驚愕である。

posted at 23:04:14

やっと貰い手の決まった仔猫に、自らを母親のように散々懐かせておきながら、速攻で見放せるなど、まさしくサイコの為す所業・罪業である。 どれだけ寂しがらせたか、年端も行かない仔猫を。

posted at 22:58:14

例えば、畜生や餓鬼の性質が前面に出やすい階層にいるのと、人間性などが前面に出やすい階層にいるのとでは違う。 人間性にいる者は、相手に垣間見える光の糸を愛するのであり、その発露のために道理を大事にする。 畜生・餓鬼にいる者は、相手の隙を突いた刹那からの甘さを求める。

posted at 20:45:03

魂やスピリットの階層を観るというのも、とても肝要である。 階層の違いが大きいと、共通言語はおろか、心の言葉が通じなくなりやすい。 そこを踏まえても進められるのは、先生と生徒、カウンセラーとクライエントのような関係性なら別であるが、プライベートで一緒することは出来ない。

posted at 20:31:38

エゴに囚われ、部分を切り取っての短絡発想では、現実を歪ませるだけである。 近視眼的・視野狭窄など様々な言い方は出来るが、物事は俯瞰して複合的に観て、初めて真実に近づけていける。 そこには感情と事象の二重らせんだけでなく、客観的視野という探究性が同居して為しえるものである。

posted at 20:12:50

闇は光に勝てない。 薄暗いダークグレーの異臭のする煙に巻かれてカオスに落とされようとも、光を志向することを忘れてはならない。そう、本物の光を。 魔は地底に潜み悪霊のように闇に引き込むことを、無意識レベルで虎視眈々と狙ってくるが、祓うことも出来るのである。

posted at 19:59:56

今になって思えば、真っ当に自分を活かして生きようとする動きを止めてなくて、本当に良かった このことにより、サイコ魔は自ら自滅するかのように消えてくれた サイコ魔に冒されつつある時は、離れが自分の半身が引き剥がされたように激しく痛かったが、いまは真っ当志向に救われたと思える

posted at 19:56:51

本人にその本当の価値が分からなければ、または分かろうとしなければ、結局、豚に真珠のようになりカオスになるという、刹那と哀しみの実に痛々しいスパイラルとなる。

posted at 19:28:42

ここで直視とは、なんとなくではなく直視であり、行動習慣レベルで具体的に落とし込まれ続けるという実践形態を指す。 しかし、こんなことまで寄り添って伴に考えてくれる善意の他者に巡り会えるのは、奇跡的なまぐれに近いものであろう。 また巡り会えたとしても↓

posted at 19:27:25

長年の孤立化からサイコ気質が異常発達してしまうという、哀しい現象は、本人が自らの特性を直視しない以上、乗り越えられることはなく、生涯付いて回り、繰り返し連鎖させてしまう。 そうして、他者の善意を悪意にすり替えられる悲劇は続いてしまう。

posted at 19:23:50

偏見による結論ありきで、都合の悪いことは隠して、部分を切り取り肥大化させることを、まやかしという。 被害妄想から他者を追い詰められるのは、パーソナリティーの障害による特徴。 被害妄想が発生しやすいのは、統合の失調が根強いゆえ才能レベルで発揮される。 さらに↓

posted at 19:20:28

25人に1人の割合でサイコが存在するなら、最初にその性質を見抜いて深入りする前にフェードアウトすること。 サイコは巧みに取り入り自己責任をもすり替えるのが、気質レベルで巧いので取り込まれたらドボンになる。 心の隙を憑かれ魔に巻き込まれないこと、それが今後の自己責任。

posted at 19:06:42

まやかしの被害妄想を膨らまし、他者を利用して盗み取っても合理化し、カオスに落とし狂わせるサイコの所業 真っ当に、自分を活かし生きていけるようにと提案され乗ったことが甘くないからと誘導されたと、主体性すら発揮しなかったことへの責任転嫁。こうして、泥棒豚に真珠現象による損害が発生する

posted at 19:03:21

道を歩いていて信号がある。私は信号を無視したいとエゴを出せば、事故に遭ってしまい、巻き込んだ相手にも多大なる損害をかけてしまう。 同様に物事には道理があり、それにエゴをぶつけても、反作用の現象を招いてしまうのである。

posted at 14:04:47

「私は~を伝えて生きたい」→それなら、まず部屋や習慣をキレイにしようと言われる→汚れがひどく怠惰が根強く辛い→私はそんなこと望んでいなかった。誘導されたと詭弁→凄まじい責任転嫁からの背信と打撃をサポーターに与える→カオス→サイコ・カサンドラ

posted at 13:58:56

あぶくの銭がなくなったら野垂れ死にしたらいいと思ってると、自ら述べていたのは、いま思えば、なんとさもしいのだろう。たとえ冗談だとしても、何一つ前に進めずに退化していっているなら、真綿で締めていき同じようなことであり、それを聞かされた相手への配慮もない。

posted at 13:40:51

利他の精神とは持ち続けてこそ意味があるのであり、ましてや、それが演技でどことなく嘘っぽかったり、例え、本心であっても瞬間最大風速であっては、かえって背信となり罪業となる。

posted at 13:27:38

少し厳しいことを述べたとしても、それはスパイス程度の隠し味で、結果として甘く耳障りの良い、退化・退廃・堕落に都合の良い言葉に踊らされるほどに、踊ってるようで掠め取られて、気がつけば針金に縛られる。人を堕落させるのは慢心に溺れさせることで、溺れるほどに依存性が出てしまう。

posted at 13:04:13

どんなに美をかたろうとも、部屋を始め心の内側が汚ければ、本当の意味で響くことはない。 それは「語り」ではなく、「騙り」であるからだ。

posted at 12:21:31

なるほど、整形好きにもサイコは多いのか。知らなかった。

posted at 11:55:13

イエスは言った。 「悪魔よ、消えろ!」と。 そしたら悪魔は、ただちに消えた。

posted at 11:31:52

優しさと甘えは違う、依存と相互依存は全く違う。癒しと刹那は天と地ほど違う。

posted at 05:08:45

荒んだ表情、やさぐれた雰囲気、取り繕った外面、そこから脱して、少しずつ人間味ある柔らかさや暖かみ、潤いが出始めたところで出た好転化反応に呑まれ、それ以前より陰気・姑息となり浮上出来なくなるのは、もはや哀れを醸し出す。

posted at 05:05:47

未熟さを直視しなければ、成長など永遠にあり得ない。成長しないのは退化であり退化は怠惰を招き、そのままだと堕落のスパイラルに陥り、脱出困難の麻薬にかかる。 それは魂さえも蝕むこととなり、輪廻があるとするなら、輪廻をも歪ませる。まとわる現実はダイオキシンの黒煙の闇となる。

posted at 04:57:09

自分を痛め付けずに済むには成長・進化が必要なのに、癒しに名を借りた甘えた怠惰では堕ちていく。それは癒しではなく麻薬である。

posted at 04:52:19

自らの判断で乗った物事を、全て相手の責任になすりつけるサイコは、自らを滅ぼす運命に出来ている。

posted at 04:22:27

全てのものには、必ず二面性がある。まず、根を張らないとエネルギーは得られない。つまり陰、悟りのエネルギーから始まる。

posted at 00:24:23

外側にばかり幸せを求めて逃げていても、地に足は付かない。

posted at 00:20:33

覚醒と悟り、何周もして永遠に変化していく。それを一周だけ、または一部分だけだと永遠に全体像は見えない。

posted at 00:02:42

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